しまなみ訪問
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The Future Is Now.
未来とは今である。"自分自身が思い描く理想とする未来を実現するためには、今から行動を起こすことが必要である"ことを示す米国の女性文化人類学者のMargaret Mead氏の名言として、広く伝わっています。ある機会にこの言葉に触れ、出典や本当にそういう意味なのか、を確かめたくなり、色々と調べてみました。
まず、この言葉の出典は、
M. Mead, Culture and Commitment: A Study of the Generation Gap, Natural History Press, Gargen City, New York, 1970
のようです。僕の手元にある本であれば、Chapter 3(最後の章)のThe Futureの最後に出てきます。前後の文章もあわせて持ってくると
"If we are to build a prefigurative culture in which the past is instrumental rather than coercive, we must change the location of the future. Here again we can take a cue from the young who seem to want instant Utopias. They say: The Future Is Now. This seems unreasonable and impetuous, and in some of the demands they make it is unreasonable in concrete detail; but here again, I think they give us the way to reshape our thinking. We must place the future, like the unborn child in the womb of a woman, within a community of men, women, and children, among us, already here, already to be nourished and succored and protected, already in need of things for which, if they are not prepared before it is born, it will be too late. So, as the young say, The Future Is Now."
となっています。
元の言葉の意味の通り、未来はまさに今の中にあり、今の延長として未来ができていくことを意味しているようです。この本の翻訳本に
著 M.ミード、訳 太田和子: 地球時代の文化論-文化とコミットメント-, 東京大学出版会, 1981.
があります。この翻訳の中でも、"The Future Is Now"は「未来とは、まさに現在なのだ」と訳されています。
一方でもう少し探していくと、このような記事が出てきます。原著への当時の書評だと思いますが、
""The future is now," Margaret Mead says as the coda of her series of three essays developed from the Man and Nature lectures at the American Museum of Natural History. The lesson the elders of western society must learn is to relocate the future in the present, to give power to the young and together work out man's destiny."
と書かれています。これを読むと、The future(未来)は、now(今の「世代」)のものだと読めます。さて、再び、原著・翻訳本に戻ってみます。
原著には、Updated Editionがあり、1978に発刊され、第II部として1970年代の話を載せています。その改訂版の序を(翻訳本で)確認しますと、改訂版発刊のモチベーションは、1968年のパリの五月革命や中国の「文化大革命」、ベトナム戦争などを機として、"世代の断絶"に関心を覚えたことのようです。文化人類学者として、世界の様々な文化を調査・研究する中で認識した空間的断絶による違いと同様に、コンピュータも人工衛星もない世代、世界大戦を経験していない世代、アポロを当たり前と思う世代、の間にある時間的な断絶を間のあたりにし、それを記述しているのが"Culture and Commitment"で書かれています。こうした世代間の断絶を前にして、未来は今の世代のものだ、と説いたのが、"The Future Is Now"の大きな意味であるといえるでしょう。
ただ、こちらのJames Baldwinとの1970年の対談記事ですと、M. Mead自身が、"The Future is Now"という言葉を、未来は今からの繋がりの中にあるという意味で使っているようですので、"The Future is Now"は、二つの意味を持った言葉であるといえるのではないかと思います。急に気になりだし、わさわさと調べてみましたが、面白かったです。
ちなみに、原著では、様々な民族の時間の捉え方や、過去・今・未来への接し方が書かれており、とても面白いです。
ハイブリッドシンポジウム
オンライン側はzoomミーティングを使いました。ウェビナーだと参加者の声・顔が見づらいそうで、通常zoomにしてよかったなと思います。
zoomでは、メインセッションで受付(名前の変更、オンラインスピーカーの音声・画面チェック)を行い、ブレイクアウトルーム1で本公演を行う形としました。セッション間が詰まっているので、音声・画面共有のチェックの場を設けるためのブレイクアウトルームの活用でした。もう一つは、セッション前後で司会者・登壇者が話をするための場を作るためにブレイクアウトルームを設けました。通常のシンポでは、終わった後に雑談、意見交換が行われて、まさにこれがシンポや学会の第二の楽しみなのですが、オンラインのみだと発表が終わったら、ぷっつりと切れてしまって、味気ない。ということで、今回は本公演とは別に雑談部屋を作りました。ここで、終わった後に小一時間話しているセッションが多く、想定以上に良かったようです。このあたりは、これまでの現地のみのシンポと異なり、じゃぁ、次のセッション始まるから手短にとはならずに、思う存分、話が出来たようです。オンラインならではの、外部空間とは閉ざされた時間の流れ方と言えるでしょう。
Zoomでの画面共有とプロジェクターでの画面共有をPC一台でやるのが難しかったり、現地の人が前を向いて話せるようにモニタを置いておくと便利だったり、受付スタッフ用部屋と本講演会場が離れていると行ったり来たり大変だったり、zoomにあるマルチスポットライト機能やライブ翻訳が便利と思いきやとブレイクアウトルームでは使えなかったりと、やってみると色々とTipsが溜まりました。誰が参加しているのか、一見でわからないのはやはり不便ですね。
ポストコロナになったら、ハイブリッドシンポジウムは続いてるんでしょうか。
書評: 他者と働く
他者と働く〜「わかりあえなさ」から始める組織論
https://honto.jp/netstore/pd-book_29898364.html
組織というよりも、一対一の"対話"を中心に、「わかりあえなさ」をいかに乗り越えるのかを、様々なアプローチで丁寧に解説しています。一に執着しすぎることなく、一対一の関係の中でいかにconflictを解決していくのか。乗り越えた先にできた関係性が組織を作る。