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しまなみ訪問

今治、しまなみに2018年以来にきました。今回は、家族4人でお邪魔するという初めて形。奥さんはワーケーション、僕・娘・息子は純粋な(?)夏休みということで、ワーケーションプログラムや、とうかげんや典座といった宿、ラヂバリさんにもお世話になり、色々と楽しみました。
 
宿探しから色々と大変だったのですが、選び方として、子供が滞在しやすくてのんびりできる、あまり高くない、といった辺りがポイントで、最初はレンタカーなしでも行けるを条件にしていましたが、さすがに車なしは無理でした。
15年前と比べると、サイクリストをサポートする宿や小さな宿も増えて、選択肢はかなり増えているように思います。それでも、一週間と長く滞在するつもりだったので、けっこう悩みました。結果、どちらの宿も良くしてもらって、大満足でした。とうかげんは1グループ、典座は多くても2グループという感じの大きさで、顔を見ながら、どうするか決めていくという感じで、子どもと遊んでくれたり、ぱっと(子供の好きな)牛乳を出してくれたり、近くの面白いところを紹介してくれたり、洗濯干せたり、気楽であり、ゆっくりでき、とてもよかったです。
 
滞在を通じて、高級ホテルの高級サービスと同じ価値軸では決して表現できない素晴らしさがあるということを身をもって経験しました。(もちろん、小さい子供がいるってことで価値感が大きく変わってきたのでしょうけど)普通のサービスや接客では収まりきらないことが色々おこりうるという心配があって、その収まりきらなさに対応してもらえそうと感じ、心配しなくていいという場所だったと思います。さらに、初めての人との関わりは、子供たちの成長にも繋がり、よかったです。
 
あと、話していて面白かったのは、祖父祖母が島に住んでいて、親は今治市街だけど、自分達はまた島住まいという方に二組あいました。三世代目でまた戻ってくるという形です。それぞれの世代で、ネットや道路、生活インフラといった環境も変わり、働く・住まう・過ごすといった価値観も変わり、また島に戻るというのは面白いなと思いました。時代が大きく変わってきていることを感じました。島の生活は豊かであっても、将来の選択肢という面でどうかという議論もありますが、造船などの産業があり、広島との行き来もあり、新しい宿やお店もできてきており、活発な印象を持った今回の今治・しまなみ旅行でした。

TRB@Virtual

 TRB Annual Meetingに参加してきました。参加といっても、もちろん、ヴァーチャルです。"2021 TRB Annual Meeting – A Virtual Event"と題されており、記念の100回目は、歴史的なオンライン開催となりました。通常は(といっても1回しか参加したことありませんが)、ワシントンに数万人スケール?で人が集まり、5日間にあたり、平行セッション数も数えきれないくらい(30くらい?)開催される交通業界では最大規模の学会です。
 セッションの裏で、テーマ別のコミッティーの会合が開かれたら、夜は大学ごとの懇親会が開かれたり、企業の展示ブースがあったり、ジョブフェアーがあったりと、様々な交流があることが学術会議のウリですが、(TRBほどの大規模な会議で)オンラインはどうするのか。ということに、些か興味がありました。参加してみると、思っていた以上に鮮やかなオンライン会場が用意してありました。(↓な感じです)

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(さすが有料イベント!)

 

 企業展示やランダムなコミュニケーション用のスペースも用意されていました。それぞれの会場で、どのくらい盛り上がったかはちょっとわからないですが。 セッションも全ての発表は録画されていて、アーカイブとして一ヶ月ほどいつでも視聴可能でした。時差あり参加者にはありがたいですね。家でテレビに繋いで、大画面で見ていました。PCで見るよりも、少し違った気分になるので、会議感といえるかなと。普通の研究発表よりも、あるテーマを話題にしたシンポジウム型のセッションが多かったように思います。zoomだと質疑がなかなか難しいので、シンポジウム型のほうがやりやすいのかもしれません。後追い視聴もしやすいですし。質疑は、チャットをわりとうまく使っていたように思います。ウェビナー方式でパネリストのみが発言する形だったので、質問はチャットでした。参加者の名前をチャットに書いてもらっているセッションもありました。
 ポスターセッションは、ポスター資料をWebに掲載して、チャットでやりとりというやり方でした。自分の研究(他の人が発表)は、自分でチャットにzoomのURLを貼って、ここに質問に来て、というやり方でやっていました。何人かは来てくれたそうですが、あまり盛り上がらなかったようです。Webページの視認性と操作性が悪いのも一因かなと思います。ポスターセッションは気軽に短い時間でいろんな研究を眺められるかつ興味があれば話を聞けることがよさなので、オンラインで良さが消えてしまいました。また、ポスター会場が交流や休憩の空間として機能している面もありますが、オンラインだと場所の価値がありませんしね。個人的にはポスター発表は、レモのほうがあうのかなと思っています。一覧性はやや下がりますが、気楽に回れるという面や、雑談できるという面で適しているかなと思います。 有料のオンラインイベントは初めての参加でしたが、圧倒的な準備と全世界の参加者に優しい構成、コミュニケーションを取ることへのチャレンジなどがあり、興味深かったです。
 

online communicationあれこれ

 ビデオ会議を使ったオンラインコミニュケーションがだいぶ浸透しつつありますが、メリットと出来ないことが分かれつつあります。大きなメリットは、移動時間なく、コミュニケーションが取れるようになったということでしょう。人によっては、情報を入手しやすく、コミュニケーションの機会が増えたと思います。
 
 その中で、コミュニケーションの質がどうか、という話になります。ある目的を持った一対一の打合せであれば、オンサイトとオンラインで取れるコミュニケーションに大きな違いはないように思います。ただ、対面で会った際に生じる、ダラダラと、あれもこれもというコミュニケーションは取りづらくなりました。 セミナー型ですと、そうした少数の間でのコミュニケーションはさらにとりづらいです。講義後や学会の合間に感想を言い合ったり、ちょろっと情報交換をするというコミニュケーションはなかなか生まれません。 コミュニケーションのチャンネルが一つしかないため、常に全員トークとなってしまうことが大きな原因かと思います。 そうした雑談が時間と空間を共有するメリットの一つだったのは間違いないですが、時間の共有だけですと、なかなかうまくいかないものです。そう思って、以前のブログで書いたように、以前のシンポジウムでは、雑談部屋を用意しました。共有の関心を持った4・5人が集まると、話題は尽きないので、ある目的”周辺”の会話をするという目的は達せられたと思います。
 
 対面でコミュニケーションができない分、テキストのコミュニケーションが重要となり、増えていっていると思いますが、テキストのコミュニケーションは予定調和的というか目的一直線というか、Aに対してBを返事するの繰り返しで基本的に構成されており、異なる話題は振りづらく、雑談の代用は難しいように思います。相手が返答に困っても嫌ですが、テキストだとそれは分かりません。会話であれば適当に話題を変えられるので、会話によるコミュニケーションのメリットは大きいです。
 
 あれも聞きたい、これも聞きたい、ついでにこれも、というコミュニケーションの取り方がやはり対面のいいところだと思います。用意していなくても、思いついたら、気軽にコミュニケーションがとれて、質問しやすいです。一方で、slackのような掲示板・テキスト型のコミュニケーションは、いつでも全員がアクセス可能な情報発信・やりとりをすることができる点、また蓄積されて残っていく点でメリットがあります。読む方も、いつでも時間があるときにアクセスできます。プロジェクトに共通しうるtipsのような類の情報は、全員に発信したほうがいい。でも、細切れなのでメーリスで流すほどではない(メールもどこにいったかわからなくなる)、といった情報は会話ではなく、テキストのやりとりにメリットがあるように思います。一方で、そもそもそうした情報をいかに共有するのかが課題になるのかなと思います。
 
 雑談的な会話が減ったので、新しい人と知り合い、仲良くなる機会は減ったかと思います。仕事ベース・プロジェクトベースであれば、必然的に密にやりとりすることになるので機会が生じますが、そういう目的がない場合は、なかなか難しいですね。
 
 計画的に事前から目的をもってとるコミュニケーション、唐突に思いつくコミュニケーション、後々使えるかもしれない情報、その場限りの情報など、様々な情報の種類がありますが、こうしたコミュニケーションの種類を意識しながら、Covid-19下でもうまくやりとりしていきたいなと思います。

The Future Is Now.

 未来とは今である。"自分自身が思い描く理想とする未来を実現するためには、今から行動を起こすことが必要である"ことを示す米国の女性文化人類学者のMargaret Mead氏の名言として、広く伝わっています。ある機会にこの言葉に触れ、出典や本当にそういう意味なのか、を確かめたくなり、色々と調べてみました。
 まず、この言葉の出典は、
M. Mead, Culture and Commitment: A Study of the Generation Gap, Natural History Press, Gargen City, New York, 1970
のようです。僕の手元にある本であれば、Chapter 3(最後の章)のThe Futureの最後に出てきます。前後の文章もあわせて持ってくると

"If we are to build a prefigurative culture in which the past is instrumental rather than coercive, we must change the location of the future. Here again we can take a cue from the young who seem to want instant Utopias. They say: The Future Is Now. This seems unreasonable and impetuous, and in some of the demands they make it is unreasonable in concrete detail; but here again, I think they give us the way to reshape our thinking. We must place the future, like the unborn child in the womb of a woman, within a community of men, women, and children, among us, already here, already to be nourished and succored and protected, already in need of things for which, if they are not prepared before it is born, it will be too late. So, as the young say, The Future Is Now."


となっています。
 元の言葉の意味の通り、未来はまさに今の中にあり、今の延長として未来ができていくことを意味しているようです。この本の翻訳本に
著 M.ミード、訳 太田和子: 地球時代の文化論-文化とコミットメント-, 東京大学出版会, 1981.
があります。この翻訳の中でも、"The Future Is Now"は「未来とは、まさに現在なのだ」と訳されています。

 一方でもう少し探していくと、このような記事が出てきます。原著への当時の書評だと思いますが、

""The future is now," Margaret Mead says as the coda of her series of three essays developed from the Man and Nature lectures at the American Museum of Natural History. The lesson the elders of western society must learn is to relocate the future in the present, to give power to the young and together work out man's destiny."


と書かれています。これを読むと、The future(未来)は、now(今の「世代」)のものだと読めます。さて、再び、原著・翻訳本に戻ってみます。
 原著には、Updated Editionがあり、1978に発刊され、第II部として1970年代の話を載せています。その改訂版の序を(翻訳本で)確認しますと、改訂版発刊のモチベーションは、1968年のパリの五月革命や中国の「文化大革命」、ベトナム戦争などを機として、"世代の断絶"に関心を覚えたことのようです。文化人類学者として、世界の様々な文化を調査・研究する中で認識した空間的断絶による違いと同様に、コンピュータも人工衛星もない世代、世界大戦を経験していない世代、アポロを当たり前と思う世代、の間にある時間的な断絶を間のあたりにし、それを記述しているのが"Culture and Commitment"で書かれています。こうした世代間の断絶を前にして、未来は今の世代のものだ、と説いたのが、"The Future Is Now"の大きな意味であるといえるでしょう。

 ただ、こちらのJames Baldwinとの1970年の対談記事ですと、M. Mead自身が、"The Future is Now"という言葉を、未来は今からの繋がりの中にあるという意味で使っているようですので、"The Future is Now"は、二つの意味を持った言葉であるといえるのではないかと思います。急に気になりだし、わさわさと調べてみましたが、面白かったです。

 ちなみに、原著では、様々な民族の時間の捉え方や、過去・今・未来への接し方が書かれており、とても面白いです。

ハイブリッドシンポジウム

 ハイブリッド運用での2dayシンポジウムを開催しました。首都圏の登壇者は来場可能とし、会場の収容人数は1/4として、運用しました。1/4は行政のルールと比べるとかなり抑え目ですが、第三波と重なって、警戒感が高まる状況の中だったので、運営側も小規模だったですし、やりやすい規模だったのかなと思います。
オンライン側はzoomミーティングを使いました。ウェビナーだと参加者の声・顔が見づらいそうで、通常zoomにしてよかったなと思います。
 zoomでは、メインセッションで受付(名前の変更、オンラインスピーカーの音声・画面チェック)を行い、ブレイクアウトルーム1で本公演を行う形としました。セッション間が詰まっているので、音声・画面共有のチェックの場を設けるためのブレイクアウトルームの活用でした。もう一つは、セッション前後で司会者・登壇者が話をするための場を作るためにブレイクアウトルームを設けました。通常のシンポでは、終わった後に雑談、意見交換が行われて、まさにこれがシンポや学会の第二の楽しみなのですが、オンラインのみだと発表が終わったら、ぷっつりと切れてしまって、味気ない。ということで、今回は本公演とは別に雑談部屋を作りました。ここで、終わった後に小一時間話しているセッションが多く、想定以上に良かったようです。このあたりは、これまでの現地のみのシンポと異なり、じゃぁ、次のセッション始まるから手短にとはならずに、思う存分、話が出来たようです。オンラインならではの、外部空間とは閉ざされた時間の流れ方と言えるでしょう。
 Zoomでの画面共有とプロジェクターでの画面共有をPC一台でやるのが難しかったり、現地の人が前を向いて話せるようにモニタを置いておくと便利だったり、受付スタッフ用部屋と本講演会場が離れていると行ったり来たり大変だったり、zoomにあるマルチスポットライト機能やライブ翻訳が便利と思いきやとブレイクアウトルームでは使えなかったりと、やってみると色々とTipsが溜まりました。誰が参加しているのか、一見でわからないのはやはり不便ですね。
 ポストコロナになったら、ハイブリッドシンポジウムは続いてるんでしょうか。

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書評: 他者と働く

他者と働く〜「わかりあえなさ」から始める組織論

https://honto.jp/netstore/pd-book_29898364.html


組織というよりも、一対一の"対話"を中心に、「わかりあえなさ」をいかに乗り越えるのかを、様々なアプローチで丁寧に解説しています。一に執着しすぎることなく、一対一の関係の中でいかにconflictを解決していくのか。乗り越えた先にできた関係性が組織を作る。