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ミシガン大学と日本の関わり

 僕の住まいからは車で30分ほどで日本食スーパーで食材を調達できたり,日本語で診療が受けれたり,と恵まれているなと感じます. これは,Detroit/Ann Arbor周辺には日本の企業の進出が多いためで,それはDetroitが自動車産業で発展したからだと思っていましたが,こちらの記事によると,歴史はもっと深いようです.

 (詳細は記事を読めばわかりますが,抜粋+リンク付加すると) ミシガン大学と日本人の最初の関わりは1870年代だそうです.その時に訪れた日本人留学生のグループには,のちに東大の日本人初の教授や東大総長,文部大臣となった外山正一(*1)が含まれていたそうです.また,1887年には後に日本興業銀行総裁となる小野英二郎ミシガン大学大学院に進み,博士論文"The Industrial Transition in Japan"により1889年に博士号を取得したそうです.

 そうした友好関係は一変し,太平洋戦争中は米国陸軍の日本語教育学校が作られ,日系人強制収容所から連れてこられた人たちが日本語を教えていたそうです.戦後は,日本研究の中心的な大学となり,1947年に北米初の日本研究センターが設立され,多くのアメリカの日本研究者を岡山に連れてきた岡山フィールドステーションの設置等,多くの日本研究が進められたそうです.戦後直後にこうした日本研究が行われていたことは驚きです.また,Center fro Japanese Studiesは現在も積極的に活動しています(*2).また,1953年には明仁皇太子(当時)がミシガン大学に訪問しており,ミシガン大学と日本の親交の深い様子が伺えます.

 こうした背景の下,1980年代に日米貿易摩擦が進むにつれ,米の自動車産業界と日本の自動車産業界を結ぶ役割をミシガン大学に所属する日本研究者が果たしていたそうです.こうした過程の上で,デトロイト周辺への日本自動車企業の進出が進んでいったのでしょう(*3).

 このように,歴史的に深い関わりの中で現在が生まれていることは,必然ではありますが,国外の居住地で日本との繋がりを体感するとは思ってもみませんでした.歴史の中の多くの人のおかげで,今のAnn Arborでの生活があることを感じるとともに,自分が何を残せるのかを考えなければなと思います.